突然ですが、わたしには夢があります!☺️
それは、料理家になってたくさんの人に料理の楽しさを伝える人になることです。
レイチェルみたいな!!目指せ和製レイチェル😘
ちょっと長いけれど、この夢を持った理由を今日は書きたいと思います。
食べることが好きな人は多いと思うけれど、作ることは嫌いな人、忙しい毎日の中で作るのがめんどうだったりで、
簡単におかずを買える便利な世の中になった今、家庭の食卓にはどのくらいの買って来た添加物いっぱいのお惣菜が並んでいるのだろう。と思います。
わたしの家は、6人家族でわたしは兄が3人いて、末っ子です。
母は料理が上手で、私は毎晩の夜ご飯が楽しみでした。
母はお惣菜を買うことは滅多になく、手作りにこだわって食育をしてくれました。
それはもちろん専業主婦だったからできたことだとは思いますが、
そんな母を見て育ち、小さい時から私は料理に自然と興味を持つように。
小さい時から包丁を握って来たからわたしは家庭科の調理実習は張り切るタイプでした。(嫌われる奴)
その時は私も母も、料理を仕事にしていこうなんて思っていもいませんでしたが、
母は私が小学生の時に「NHKきょうの料理」の大会でグランプリを受賞し、専業主婦から料理研究家となりました。
お家のキッチンを改装して料理教室を始め、雑誌のレシピを提供したり、時にはテレビに出たりしながらお料理の魅力をレシピと共に伝えるお仕事をしています。
こんな面白い職業があるんだ〜〜と、小学生ながら私はその時に料理研究家というお仕事を知りました。😳
母は、完全に独学で料理を学んで(結婚した時になんて魚もグリルで焼けなかったらしい。)
そして今に至るわけですが、、、料理の資格も何にも持ってないのに普通に娘ながらに凄いなぁと思うわけです👏👏👏
そんな母に育ててもらって、料理の専門学校に通わせてもらい、自分も料理の道へ進んでくることができました☺️
食卓を家族で囲むってすごく素敵な時間で、大人になった今は忙しくてなかなか出来ないことだけれども
小さい時にそれを経験することができたことは私にとって、一番の財産かもしれないと大人になって思うようになりました。
2年前、両親が離婚してしまい、家族6人で食卓を囲むことは出来なくなってしまいました。
今は父とわたしで暮らしています。母が家からいなくなることは私の人生において一番悲しくて苦しい出来事でした。
そこから立ち直ることがなかなか難しかったけど、そんな時でもやっぱりお腹は空いて、
料理の楽しさを改めて感じましたし、料理の大切さを改めて感じました。
悲しいことではありましたが、自分にとって大切なもを再確認する大切な時間でした。
そして私が専門としているお菓子は、私にとってさらに特別なもの。
とっておきのシーンで人を笑顔にすることができるものです。
料理もお菓子も、誰かの日常を彩るものだと思っています。
人を笑顔にすると、自然と自分が笑顔になれる。
結局自分の為に、人を笑顔にたいのだと思います。
そんな人ってきっとたくさんいる。
それからのこと、私は母から教えてもらった食の大切さや料理の楽しさを自分だけではなく、
沢山の人に発信したいと思うようになりました。
きっと誰かのためになる、そう思ったからです。
そして、自分の好きな世界に飛び込んでいこうと決めました。
お金が溜まって来たし、ある程度技術は身につけたし、、
今しかできないことってなんだろうって思った時にフランスに行くことだなって。
住む街は専門学生の時に一回訪れて惚れ込んだアルザスです。いつか住みたいって思ってた街で、夢の夢でした☺️
最後はカンボジアに住んでる兄に今しかないからいってこいって背中を押してもらって行こうと決めました。😜😜😜
今のところ、夢の途中ですが🤨
正直、ビザが下りてこれで夢に近づける〜〜っていう安心とともに
不安でいっぱいです😭
異国で1人、大丈夫だろうか😭
やっていけるんだろうか😭😭😭
テロとかあるかもしれないし日本にいてもいまミサイルとかで安心できないけどいない間に東京に地震とかミサイルきたらどーしようとか、考えたら止まらず笑なんかたまに怖くて泣いてます。😭😭😭
でも、ここで負けたら、何にもならないし、夢は叶えられないし( i _ i )
やるしかないんやけど🤨🤨🤨
正直すでにめちゃんこホームシック😭笑笑
夢を叶えるためには絶対必要なことだと思うから( i _ i )
フランス行って、食べたいもの、観たいもの、学びたいこと知りたいことが沢山のあるから
頑張ります😉
たまにこれ読んでくじけそうになったら初心を思い出そうと思ってブログを書きました。
最後まで読んでくれてありがとうございます😭
渡仏まであと約1ヶ月。!!
準備のラストスパートです!フランス語がもーータイヘン!笑
でも、やっと手にした時間だから色々楽しもうとおもいます(*^.^*)
おわり❤️